介護職の転職体験談【転職を決意した決め手】デイケア・デイサービス・訪問介護などに転職した人(20人)

介護職の転職体験談【転職を決意した決め手】デイケア・デイサービス・訪問介護などに転職した人(20人)

デイサービスセンター(通所介護)への転職

【転職の決め手】
自分の祖母と同じ年の利用者が突然亡くなった
世話になった地元の高齢者の介護ができる時間には限りがあると感じて地元に戻って介護をするという選択肢が増えた
それから一年ほどは地元に戻る事とこのまま働き続ける葛藤に悩みながら悶々としてた
徐々に同僚が退職していき、自動的に自分がベテラン職員枠になり責任ある仕事を任せられるようになってきた。
このままでは辞められなくなる、やめにくい状況になると考え、上司に地元へ戻りたい気持ちがあることを伝えた。
定期的に上司との面談が用意された。
内容はどうにかして自分を辞めさせないように働きかけてくるようなもの(自分がそう感じただけかも)だったので
逆に辞めるのが正解だと思い信じ込めた。
【男性・介護職】
24歳のときに、介護付き有料老人ホームから、デイケア(通所リハビリテーション)に転職。

【転職の決め手】
・全く立位が取れない体重の重い利用者が担当だった。
他の職員からこれ以上抱えてポータブルトイレに
 座らせるのが無理だと多数意見が寄せられたため、差し込み式トイレやオムツの利用を検討したいと
 上に言ったところ「あなたが楽したいだけでしょ」と言われた。
・面会に来る家族が勝手に食べ物を食べさせて窒息したことがあった。
 体重管理をしているのに隠れて食べ物を与える利用者家族も多かったので、上の人に
 制限をきちんと設けた方がいいと伝えたら「あなたの想像力が足りない」と言われて
 訳が分からなかった。
・介護職員vs看護師vs栄養士vs事務所だった。
・辞めてからだが、退職金の額が本当に酷かった。
この会社に長くいなくて良かったと思った。
【女性・介護福祉士】
29歳のときに、介護老人保健施設から、デイケア(通所リハビリテーション)に転職。

【転職の決め手】
私が、利用者の入浴介助で仕事をしていると、意地悪な職員が、わざと、重度介助の利用者の入浴介助を私一人でするように言ってきました。
その、重度介助の利用者は必ず二人介助で入浴を行わないといけないと、施設内でも決まっていたことでした。
しかし、「今日は人手が足りないからお願い。」と言い放ち、その意地悪な職員は他の職員とずっとフロアでおしゃべりをしていました。
たまたま、その日は所長が休暇で不在だったため、その日のうちに相談することもできず、しかし、人ではそれほど足りないというわけでもありませんでした。
おしゃべりしているくらいなら手伝って欲しいと、声をかけたところ、「私はあなたに頼んだことなのだから、責任もってやりなさいよ。」と強い口調で言い放たれてしまい、周りもその意地悪な職員には反発できず、見て見ぬふりをしました。
とても切なく、やりきれない気持ちでした。
【女性・実務者研修】
30歳のときに、デイサービスセンター(通所介護)から、デイケア(通所リハビリテーション)に転職。

【転職の決め手】
大勢の利用者を少ない人数の職員で対応していたため、どうしても団体行動にあてはめて毎日を過ごすことが多く、年数を重ねるごとに「これでいいのかな」と考えることが多くなってきていました。
みなさんとても一生懸命にお仕事をされており、自分もその中で必死に毎日を過ごしていましたが、たくさんのことを学び福祉という面での見識も増えてきたところで、もっと他の施設、違うやり方をしているところに興味を持つようになりました。
大きな社会福祉法人で良いところではあったのですが、機会があれば別の法人も見てみたいということで、上司には相談してみました。
職場での責任ややることも多くなってきてしまい、自分に余裕がなくなっていたことも一つの要因ではあったと思います。
【男性・初任者研修】
45歳のときに、ケアハウス・軽費老人ホームから、デイケア(通所リハビリテーション)に転職。

デイケア(通所リハビリテーション)への転職

【転職の決め手】
6歳年上の男性職員から連日のようにプライベートの話をされることがあり、連絡先を聞かれました。
その様子を見ていた女性職員数名が「付き合っているの?」と私たちの噂をすることがあり、出社するのが嫌になっていました。
声をかけてきた男性職員からは「お互いにとって良くないから、話しかけてくるな。」と一方的に関係を切られ、さらに混乱が強くなりました。
日頃の勤務での寝不足や疲労に加え、私情を弄ぶようなハラスメントに限界を感じました。
ストレスから首に激痛を感じるようになり、病院を受診したところ、リンパ浮腫だと診断され、会社の休職を勧められました。
上層部にその旨を伝えましたが、「なんとか出社できないか?」ということを言われ、退職を決めました。
【女性・介護福祉士】
21歳のときに、特別養護老人ホームから、デイサービスセンター(通所介護)に転職。

【転職の決め手】
とにかく次の仕事まで203時間空く時もあれば5分程しかなく移動時間や昼時間もまともにない時があり慌ただしかったり暇してたりと時間の使い方が勿体無いと感じてしまった。
そして時間がない時にかぎって便失禁や寝たきりの人などがオムツから尿が漏れてシーツから服から全部取り替えないといけないなどトラブルが続いた事。
雨続きや嵐でも待っていてくれてる利用者さんがいるので行かなければいけない。
仕事なのでいくのが当たり前なのだが買い物やコインランドリーに何度も行ってると毎回カッパ脱ぎながら嫌な気持ちになってしまって、気持ちが疲れてしまった。
社長に辞める事を伝えた時に若いのでもう少し続けて欲しいしもう少し仕事も増やすと言われたが断りました。
【女性・介護福祉士】
29歳のときに、訪問介護から、デイサービスセンター(通所介護)に転職。

【転職の決め手】
一番耐えられなかった部分は利用者にタメ口で接し続ける職員が8割超えだった為、新人も初日でタメ口で接する。
管理者は頭を悩ませ人権のセミナーや度々注意するものの改善が見られなかった。
利用者が敬語で返すのに、なあなあな態度で話しかけ続ける日々でストレスが散り積もになって無気力で働くようになってしまった。
管理職に「そのような接し方ではいけませんよ」と注意してくれるような職場で働きたいと伝えたいものの、引き止められておざなりな環境で働き続けたくはないので、実際は子供の生活に合わせる為と外部から口出ししにくい退職理由をお伝えした。
残念がってもらえたものの引き止めは無し。
職員も態度は変わらず仲良く過ごした。
【女性・介護福祉士】
30歳のときに、デイサービスセンター(通所介護)から、デイサービスセンター(通所介護)に転職。

【転職の決め手】
日頃から職員内でのいじめが多く見られ、リーダー格の人が職員の扱いに差をつけたり、パートの古株が新人に細かく指示を出していた雰囲気が嫌だった。
ご利用者様で気に入らない職員に暴力を振るう方がいたが、他職員のフォローはない。
私は軽うつ病となり仕事でのミスも増えた。
その事を上司に相談しても「あなたの介護をする場ではない」と言われ、1人夜勤時にミスは続く。
日常生活も少しずつままならなくなる。
手取り13万でボーナスはなく、介護福祉士を取り基本給が上がったら引かれるものが増えて実質手取りが減った。
ある日仲の良い同僚が辞めたのを機に決断。
夜勤の仕事は絶対やらないと決めて転職活動を開始。
新しい職場から採用の電話を受けた頃、タイミングよく熱を出し3日間仕事を休み夜勤に穴を開けた。
復活して出勤した時に上司に辞めますと伝えて無事辞める事に。
【女性・介護福祉士】
35歳のときに、介護付き有料老人ホームから、デイサービスセンター(通所介護)に転職。

【転職の決め手】
1社目の職場(訪問介護)は、直接ご利用者様のお宅へ伺うので、職員間に人間関係の問題もなく、給与体系も明確だったので、辞める理由としては引っ越しを考えていたことが大きかったです。
2社目の転職先のデイサービスでは3年働きましたが、職員の採用に関してや、給与体系に問題を感じていました。
送迎に関しても、職員が仮に送迎中事故を起こしても守ってくれる保険もなかった(社用車なのに自分の保険で対応すること。
)ことです。
1パートでしたので、意見を施設長に伝えても、スルー。
従うしかなかった状況でした。
3年働けば、介護福祉士としての受験資格がえられるので、そこまでは頑張ろうと思って働いて辞めました。
一緒に働いていた職員も、同時期に辞めていった方が何人かおられました。
(今でも交流はあります)
3社目はグループホームでした。
2社目で知り合ったケアマネさんの紹介でした。
2社目で悩んでいて、相談にのって下さり転職にも前向きになれました。
【女性・介護福祉士】
36歳のときに、訪問介護から、デイサービスセンター(通所介護)に転職。

【転職の決め手】
入社2年目に精神的に耐えられなくなって上司に相談したのですが、介護専門校を出たばかりの若手だったので「夜勤くらいどうってことない」「こんなことで辞めたら俺が上に怒られるよ」と言われたことに呆然としました。
20代の体力と比べられたことや、現状よりも本社の意見を伺う姿勢に腹が立ち、辞めてやると思いましたが、介護福祉士の試験のために3年が経つまでなんとか我慢しました。
通算で3年以上勤務日数が稼げた時に「辞めます」と伝えたら同僚はビックリして止めてくれましたが、上司は「ふーん。
現場責任者がいなくなるんじゃ、俺がやらされることになるね。
めんどくさいなあ」
と労いの一言もなし。
案の定、辞める日も私を無視するという大人げなさだったので、辞めた時はせいせいしました。
【女性・介護福祉士】
40歳のときに、認知症型グループホームから、デイサービスセンター(通所介護)に転職。

【転職の決め手】
口うるさい、とあるオバチャン職員に合わせるのが嫌になったことが一番の原因です。
他職員や利用者さんにも強要しているかのような仕事っぷりで、まるで軍隊のようでした。
他職員とも衝突があり、不穏な空気は常にしていました。
50代、60代のオバチャン職員がゴミの捨て方や料理の作り方などでゴチャゴチャと
ホント子供のようなケンカをしてあきれました。
そのような職員さんが多く、問題ある人とシフトが同じ日だとうんざりしたものです。
周囲のスタッフはいつものこと、というような感じでした。
新人さんも入ってはすぐに辞めていくような職場で、離職率は非常に高かったです。
職員は総数15人程なのですが、1年で30人近くが辞めていくほど入れ替わりが激しかったです。
【男性・介護支援専門員】
41歳のときに、認知症型グループホームから、デイサービスセンター(通所介護)に転職。

【転職の決め手】
ある職員が認知症の入居者さんを呼び捨てで呼んでおり、そのことをおかしいと伝えた際に「私だって仕事頑張ってる」とトンチンカンな返事があったことが転職したかったきっかけです。
相手に敬意を払い、認知症について理解しながら介護の仕事をすることが大切と思っていますが、その根本が全く共有できない職員と一緒に働くことが苦痛でした。
何度か同様のことで本人に声をかけたが伝わらず、上司に報告して話してもらっても「チクった?」と言われる始末で、入居者さんを差別しながら馬鹿にしながら働く人とは一緒に働きたくないという考えが強くなったので、やめようと決めました。
周りもその職員には注意していましたが響かなかったので、ならば同じような考え方が通る環境で仕事を頑張ってみようと思いました。
【女性・介護職】
43歳のときに、特別養護老人ホームから、デイサービスセンター(通所介護)に転職。

小規模多機能型居宅介護への転職

【転職の決め手】
全くフォロー体制がなかったのと、管理者も一方の話を聞かずに毎日のルーチングをつけていたので現場がめちゃくちゃだったこと。
管理者と一部の職員で相談員いじめが始まったことがきっかけで、この職場で働いているのがバカらしくなりました。
管理者にそのことで話したことはあったのですが改善はされませんでした。
人間同士好き嫌いはありますがそれを職場に持ち込むのは良くないと思いながら自分の仕事だけしていました。
管理者に退職の話をしてから退職の決定の面談をしてもらえるまで1か月かかり、函館支部をまとめているマネージャー達は忙しくてそれどころではないとなかなか面談してもらえなく退職もずれ込みました。
いつでも戻ってきていいよと言われましたが二度と戻りたいとは思いません
【女性・介護福祉士】
34歳のときに、デイサービスセンター(通所介護)から、小規模多機能型居宅介護に転職。

訪問介護への転職

【転職の決め手】
早朝勤務に入ると特定の職員から「なぜ声かけをしなかった?」「なぜ事前に業務内容を確認しなかった?」「学生気分で仕事をされたら困る。」など、文句をぐちぐち言われる日々が続いていました。
ある時その人から「学校でそんな風に教えてもらったのか。」と言われ、学校を批判された思いになり、こんな職場辞めてやると決意しました。
上層部に退職をしたいという旨を伝えましたが、「部署異動や、雇用形態変更など色んな方法がある。」ということを勧められ、退職という選択肢を遠ざけられました。
話し合いの場を複数回設け、精神的にもしんどくなりました。
話し合いだけで1ヶ月近くかかり、ようやく退職を決めた時にはメンタルが崩壊していました。
【女性・介護福祉士】
20歳のときに、特別養護老人ホームから、訪問介護に転職。

【転職の決め手】
本気で転職しようと思ったきっかけはヘルパー2級教室の講師をされていた方から「うちで働かないか」とヘッドハンティングされたことがきっかけです。
その辺りから同じ職場で働く同じ派遣会社の上司が他の部下に対してパワハラを行っていたことがあり、それを派遣会社へ相談に行った際に「黙っていろ」と脅されたのも決め手でした。
転職が決まってからは会社や上司から「引き抜きだ」と転職先へ嫌がらせがあったとも後々聞いています。
派遣先での勤務最終日には、朝の朝礼時に退職祝いの品をいただいたり、勤務終了後は急遽、看護師さん主催のお別れ会を開いていただけました。
派遣先では転職に対して応援していただけましたが、派遣会社からは嫌がらせを受けました。
【男性・実務者研修】
22歳のときに、病院・医療機関から、訪問介護に転職。

【転職の決め手】
人間関係が1番です。
皆で私のことをごちゃごちゃ言ってきて本当に苦しかったです。
怒鳴りつけなくてもいいのに、怒鳴られてしまって心が苦しかったです。
挨拶をしているのに、挨拶をしていないもっと大きな声で言ってとずっと言い続けられていました。
本当に酷いことを言われていましたが、優しい方は年配のパートさんは優しく話を掛けてくれていました。
私の同期も同じことをされていて、苦しかったと話をしてくれました。
あの人が全部仕込んでいると教えてくれて本当に全て自分が悪いと思っていたのでとても安心しました。
同期が教えてくれて本当に心強かったです。
悔しくても毎日毎日嫌でも頑張っていました。
しかし、人が足らなくなってしまってやめられなくなってしまいましたが、転職先の方が楽でした。
【女性・介護福祉士】
25歳のときに、特別養護老人ホームから、訪問介護に転職。

【転職の決め手】
母方の祖父が亡くなり、通夜・葬儀に参列するために休みがほしいと上司に伝えた所、「母方の親戚なら直系の親戚ではないため休みは与えられない。
それに、通夜の時間帯に訪問の予定が入っているから行くように」
と言われた。
妹が上司へ抗議の電話をしたことにより結果的には参列することが出来たが、人としてどうなん?と感じた。
元々は就職した翌年に正社員にするという約束の元就職したが、2年目になっても正社員にならなかった。
何故なのか上司に聞いてみたところ、「正社員にするつもりはない」と断言された。
そのことでモチべーションが下がり、仕事のやりがいが持てなくなった。
また、実家から出たいと思っていたが、今の給与では1人暮らしできず、正社員にもなれないならまだ実家に住まなければならないのかと思ったら、「もうここで働く必要はないな」と感じた。
【女性・介護福祉士】
25歳のときに、訪問介護から、訪問介護に転職。

【転職の決め手】
暴力的な入所者の対応を普段から若い私に1人でするように命じられていて、その日も対応に当たっていたのですが、その入所者が私の顔面をげんこつで激しく殴り大けがをしてしまいました。
その職場は労災には加入しておらず、併設された医療機関で対応すると言われたのですが、個人のクリニックで目が見えないほどの大けがを負ってしまい、対応ができずにしばらく別の病院で治療を行いました。
その治療費は全て自分持ちであり、自分の1か月分の給料を上回る状態になったことに対し、私の両親が激怒しました。
元警察官であった実父が知り合いを駆使して訴えると経営者に対して怒ったことから、治療費自体はいくらかもらったものの、片目の視力が回復せず、職場もこれ以上私の方とトラブルになりたくないと思ったのか、あっさり退職を認めました。
今度は介護職に就くとしても最低労災に加入しているところを選ぼうと思いました。
【女性・初任者研修】
25歳のときに、介護老人保健施設から、訪問介護に転職。

【転職の決め手】
・周りの反応は別に特にない。
というべきか、逆に次はどこで働くのかを根ほりはほり聞いてくる状況もあったので隠すこともなく通常の業務にも支障をきたすことはなかった。
給料自体もそんなに多くもらっていなかったので、新しいところの給料はどれくらい出るのかを聞いてくる始末であった。
それはそれで円満に退職したと感じている。
大切にされていなかったこともあるのかもしれないが、ずっとこの職場にいても自己成長は望めないのだろうし、上が詰まっている閉塞感もあったので決断してよかったと思っている。
障害者施設では、若い人は別なところでもしっかり働いてほしいという空気感もあったので辞めることが珍しいことではなかったようだ。
【男性・介護福祉士】
29歳のときに、デイサービスセンター(通所介護)から、訪問介護に転職。

【転職の決め手】
オムツ交換の際、フロアリーダーに「今日も失禁者ばかりだった。
本当にやる気あるの?」
ともの凄い形相で怒鳴られた時です。
フロアに利用者がおられる前だったため、利用者にも怒声で不快な思いをさせている自覚がありました。
怒鳴ることで不穏になる利用者もおり、他の職員が慌てて対応していました。
利用者、職員ともに不快な思いを与えるぐらいならいっそ辞めてやると思いました。
翌日辞令を提出した際にも周りの反応は冷たく、「やっと失禁に困らなくなるわ。」という声も聞こえました。
自分が迷惑をかけているという自覚は以前からありましたが、怒鳴られ、退職を決めても誰も優しい言葉をかけてくれない事実に落胆し、なぜこんな職場で働いていたのだろうと強く思いました。
【男性・初任者研修】
30歳のときに、小規模多機能型居宅介護から、訪問介護に転職。